元裁判官の弁護士が語る冤罪の核心

【司会】 原先生は裁判官を務められていたことがあるそうですね。

【原】 はい。8年間裁判官を務めていました。ただし,刑事事件に携わった経験がそれほどあるわけではありません。民事事件を主として担当しながら,その傍ら,刑事事件の合議事件の陪席として携わった程度です。

【司会】 そのような経験も踏まえて,今回の事件はどのように考えられますか。

【原】 裁 判官は,民事事件でも刑事事件でも一緒だと思いますが,事件の筋ということを念頭に置いて判断していると思います。筋の良い事件は,記録を読めば,すんな り事実関係が頭に入ってきますが,筋の悪い事件は,何回記録を読んでも,事案の内容がなかなか把握できません。今回の事件は,まさに筋の悪い事件の典型だ と思います。検察官の想定する事件経過はおかしなことばかりで,なかなか頭にすんなりとは入ってきませんでした。

【司会】 具体的にはどのような点が筋の悪い点だと思われますか。

【原】 ま ず,今回の事件は贈賄事件ですから,公訴時効は3年です。今回の矢上村長の逮捕は,まさに公訴時効期間ギリギリの時点でした。捜査側としても十分な調査や 準備がなされないまま,矢上村長逮捕に踏み切ったとしか思えないふしがあります。矢上村長は,捜査官から,「本丸は収賄だ」という話を再三聞いていたと言 われています。捜査官は,贈賄事件を終着点の犯罪と見ていたのではなく,きっかけの犯罪にすぎないと見ていたことがうかがわれます。
矢上村長を逮捕して,強制捜査をすれば,どんどん証拠が集まって,矢上村長を収賄で再逮捕,追起訴することなど簡単だ,そういう軽い考えで,矢上村長を贈 賄事件で逮捕したのではないでしょうか。他方からいえば,今回の贈賄事件の捜査については非常に杜撰な面が強かった,そういうことができるのではないで しょうか。
案の定,矢上村長が逮捕された後に,捜査側は,あらゆる強制捜査を実施したにもかかわらず,矢上村長が収賄事件に関わっていたという証拠は一切出てはきま せんでした。勿論,収賄で起訴することもできませんでした。このため,捜査側は,贈賄事件1本で,矢上村長の有罪を勝ち取る途しか残されなくなったので す。筋の悪い本件を何とか有罪に持ち込まざるを得ない,そういう追いつめられた状態に検察はなったのだと思います。
そして,非常に筋が悪く,薄い証拠しかないのが,今回の贈賄事件であったことを踏まえて,検察側は,異常とも思える過敏な対応を一審段階でし続けたのだと 思います。矢上村長を11か月身柄勾留し,共犯者の保釈を取消しを申請するなど,通常では考えられない異例の過敏さだったと思います。しかしながら,この ことは,逆に考えれば,検察側も,本件が筋の悪い事件であり,証拠関係が薄いということを強く自覚していた結果ではなかったかと思うのです。
有罪を確信している事件ならば,このような点に過敏になる必要など全くないからです。
また,一審での証拠調べの結果,検察官の冒頭陳述での主張がことごとく否定されました。特に,贈賄の動機に関わる部分の主張が根底から崩れました。このような事実は,検察官が想定する事件筋が,実態と全く異なるものであったことを明らかにするものでした。
私たちは,一審の結審にあたり,百数十頁の弁論要旨を提出しましたが,一審裁判所は,私たちの主張に真正面から向き合うことなく,有罪判決を下しました。 しかし,一審裁判所自体,本件の最大の共謀現場とされるゴルフ場において,矢上村長の共犯者とされる者の共謀を否定する一部認定落ちの判断をせざるを得な かったのです。これは一審裁判所自ら筋の悪い事件であることを認めざるを得なかったことを意味しています。
一審裁判所は,このような一部認定落ちの判断をする以上,本件についても端的に勇気を持って無罪とすべきが帰結であったのです。

【司会】 筋の悪い事件を検察官はなぜ起訴せざるを得なかったのでしょうか。

【原】 検 察官の起訴の在り方などを検討するにあたって,私は,比較刑事法を専門とする王雲海一橋大学教授が書かれた「賄賂の刑事規制」(日本評論社)という文献が 示唆に富むと思っています。王教授はこの文献の「検察自身の体質」という項で,こう言っています。「意識的に見れば,検察では,『法の支配』という法の適 用者として持つべき意識とは無縁の他の『文化的思考』を強く持ち,その実現・確保を自分たちの第一次的使命として, 法の適用においてもそれを目指そう,とする『検察なりの・検察全体の文化的志向性』ともいうべき意識的なものが,暗に存在している。普通,『警察は政権を 守り,検察は体制を守る』という言い方があるが,この『体制』は政治制度より既存の日本社会の文化的構造というべきであろう。なぜなら,民主主義という体 制からすれば,誰が与党であろうと,民主主義的手続で選ばれればよいわけで,民主主義的手続が守られれば,誰が与党になってもよいはずである。
しかし,検察が至上としているのは民主主義という手続よりむしろ長期与党の存続という既成の文化的構造であるように見える。かつて,ロッキード事件で前総 理大臣の逮捕に踏み切った検察の動機について,次のような記述がある。「『田中角栄たちのチョイスは間違っている。はっきりいえば,このままでは,日本の 民主主義体制を危うくしかねない。右か左か,どちらにせよファシズムになる危険性がある。それだけは断固阻止しなければならない。
そのためには,この際,思い切って,事件の核心を撃つ必要がある,と,われわれは結論したのです。』そして,彼は,重要なのは,『個々の政権,個々の政治 家』の利害ではなく,『体制を維持する』と言うことだ,と,いく度も繰り返しました。現体制を維持するためには,田中を逮捕した方がよいのか,田中逮捕を 回避した方がよいのか,そのことを検討するために特別合宿をしたのだ,というのである。」(435頁~436頁)。
矢上村長は,取調検察官から,「なぜダムに反対するのか。」と何度も聞かれたと言われています。今回の事件における「体制」が「ダム推進」を内包していたと見ると,この検察官の質問はまさに了解が可能です。
ところで,法曹三者になる前の司法修習生の時代に,司法修習生は判決の起案や起訴状の起案を課されるのですが,私たちが司法修習生のころには,「強気の刑 裁」という言葉を聞くことがありました。これは検察官の起訴は謙抑的に行われることの反面で,刑事裁判は強気に認定してよいのだ,という意味だったと記憶 しています。
本件では,逆に,「強気の検察」すなわち,強気の起訴がなされたのではないでしょうか。収賄事件が立件できるという誤った見込みのもとに,検察官が考える「体制」を維持するために,無理筋の贈賄事件を起訴せざるを得なかったのではないでしょうか。

【司会】 それでは現在福岡高等裁判所に係属している控訴審についてどのようにお考えですか。

【原】 今まで述べましたように,本件は,成り立ちからして非常に筋の悪い事件です。このような事件を強気に起訴せざるを得なかったというのが実態なのですから,福岡高裁は,このような背景事実を見極めたうえで,確信を持って無罪の判断を下されてよいのではないでしょうか。
また,検察官が,起訴当時考えていた「体制」が今では,大きく転換しているのが実態です。矢上村長が勾留中に当選したことや,農水省がダムを前提としてい た利水事業の休止を決定したことはその象徴ではないでしょうか。このような点からも,本件を有罪にするという利益は,先に述べた「体制」維持の点からも既 に失われているといってよいのではないでしょうか。