<冤罪(えん罪) 矢上事件のあらまし>

1「冤罪 矢上事件」とはどのような事件か

(1)事件の流れ

矢上雅義相良村村長(当時)が,自己が提案する助役選任決議案に賛成してもらうために,複数の村議会議員に対して賄賂を贈ったとして,逮捕・起訴された事件です。 事件の経過は以下のとおりです。
2002(平成14)年2月  助役選任決議
2005(平成17)年1月  関係者一斉逮捕
(贈賄罪の公訴時効期間は3年であり,公訴時効期間経過直前の逮捕であった。)
同年1月26日        矢上氏逮捕
同年2月17日        矢上氏贈賄罪で起訴
同年11月          相良村村長選にて,矢上氏獄中当選
2005年12月 保釈決定(10回目の保釈申請でようやく保釈が認められた)
2007年2月26日     判決宣告,懲役2年執行猶予4年
即日,控訴申立
2008年3月31日     控訴審判決予定

(2)事件の構図

本件は,2002(平成14)年2月に議会に提案された助役選任に関して,相良村議員らに一人あたり10万円の賄賂が配られた,そして,賄賂を配るにあたっての事前謀議に矢上村長が関与していたとして,矢上氏を贈賄罪の共謀共同正犯として起訴した事件です。
検察官は,この「謀議」は,ゴルフ場レストラン,某会社事務室,人吉市内にある借家の3カ所で順次行なわれたと主張していますが,矢上氏はこの謀議はいずれも存在しなかったと強く主張し,他の贈賄側共犯者らも,本件をでっちあげたと目されている元村議ただ一人を除いては,最終的には全員が謀議の存在を全て否定しています。
矢上事件は,直接の贈賄には関与せず事前謀議にのみ加わったとする「共謀共同正犯」の事案であり,結局は共謀があったかどうかが争点となるのですが,一人を除いては全員がこれを否定し,ただ一人謀議の存在を認める元村議については,弁護団は,その人物が矢上氏と政治的に対立していたために事件を捏造したものと判断しています。そして,この謀議の裏付けになる客観的証拠も存在していません。 つまり,一審では,その元村議の捏造が,事実として認められてしまったのです。

2 「矢上事件」はまさしく冤罪である

矢上氏は,贈賄の事前謀議への関与を逮捕直後から一貫して否認しています。
事件当時,相良村の村長は,長期政権を構えていた前村長から矢上氏に交代したばかりでした。同村村議会は,矢上氏派(与党)と前村長派(野党)とが,矢上新村長の下で,村長選の確執を捨てて協調路線をとって行こうと共闘態勢を整えているところでした。また,矢上氏を支える「与党」は村議会内で多数派を形成しており助役選任案件が否決されるおそれは全くなく, 実際に,助役選任案件以前の教育委員会委員や農業委員会委員の人事案件もすんなりと可決されていました。
つまり,矢上村長が提案した助役選任案は,何ら紛糾することなくすんなりと可決することが間違いない状況だったのです。つまり,賄賂を配る必要など全くなかったのでした。
それにもかかわらず,検察側は,助役選任案を通すために,矢上氏らが村議らに対して賄賂を配る謀議を行ない,その謀議に基づいて実際に賄賂が配られたと主張しました。
検察側が有力な証拠とするのは,矢上氏と政治的に対立していた元議員の自白と,身柄拘束下で得られたその他の共犯者らの虚偽の自白(その大部分は公判で撤回されました)のみでした。本件は,矢上氏を陥れようとする政敵のでっち上げであり,冤罪に他ならないことは明らかなのです。
検察側主張を支える客観的な証拠が全くなかったので,弁護団は,矢上氏の関与を裏付けることはできないと強く主張しましたが,一審の熊本地方裁判所は弁護団の主張を簡単に排斥し,事実上,贈賄側及び収賄側の関係者らのうちの一部の自白(その大部分は公判で撤回されています)のみを証拠として,いとも簡単に検察官の主張を追認し,矢上氏に対して有罪判決(懲役2年執行猶予4年)を下しました。
弁護団は,この極めて不当な判決に対して,判決当日に即日控訴しました。控訴審では,福岡高等裁判所に新たな証拠を提出し,矢上氏自身の被告人質問を終え,矢上氏の無罪を強く訴えて結審しました。2008年3月31日に控訴審判決が言渡される予定です。

3 身体拘束下で強いられた虚偽の自白~「人質司法」の問題

助役選任に当たって賄賂を配る必要などなく,実際に配られることもなかったのに,なぜ,矢上氏の事前謀議に基づいて賄賂が配られたと認定されたのでしょうか。
助役に選任された人物や事件の関係者たちは,事件の存在を強く主張した一人の元村議(矢上氏と政治的に対立していた人物)を除いて全員が,当初は被疑事実を否認していました。
それにもかかわらず,この虚構の事件が作り上げられ,矢上氏を含む数多くの無実の人たちが有罪判決を受けるに至ったのでした。それは,各関係者らが,長期間の身体拘束下で,連日長時間の取調べを受けて心身共に疲れ切り,やってもいない罪を認めさせられ,警察官の言うがままの自白調書に署名させられたからです。
元助役をはじめとする事件の関係者たち(贈賄側・収賄側双方の共犯者とされた方々)は,突然の身体拘束にとまどいながら,長時間の過酷な取調べを連日強制されました。いつ釈放されるのか全く分からず,最初から犯人扱いされていくら無実を訴えても全く聞き入れてもらえず,弁護士のアドバイスを受けることもできませんでした。身体拘束下では平常な精神状態を保つことは困難です。しかも複数の取調官と一人で対峙しなければなりません。
やっていないといくら言っても,二人,三人がかりで,怒鳴られ,説得され,他の共犯者は自白したぞなどと虚偽の説明をされ,犯行を認めなければいつまでも釈放されないぞと脅され続け,心身が疲弊し,また,留守を預かる家族のことや仕事のことを心配し,一刻も早く身柄拘束を解いてもらうために,やむなくやってもいない事実を認める自白調書を作成させられたのです。
このような,身体拘束下での,釈放を餌に虚偽の自白を迫るような捜査のあり方は「人質司法」と呼ばれており,数々の冤罪事件の温床になったとして強く批判されています。
このようにして出来上がった調書は,正に「取調官の作文」です。検察官は,事実を歪めた調書を重ね,虚構の犯罪をあたかも存在したかのように「立証」していきました。取調べで虚偽の自白に応じた関係者らも,大部分は公判廷で自白を撤回し,あらためて無実を訴えたのですが,裁判所は,公の場での無実の訴えより,密室で作り上げられた虚偽の自白調書の方を重視し,検察官の主張を認めるという誤った判決を下したのです。
そして,控訴審で,矢上氏と弁護団は,虚偽の自白が信用できないことをあらためて強く主張し,裁判所に事実を正しく判断してもらうよう訴えているのです。